tikani_nemuru_M氏の問題意識に対する呼称についての,私の見解

この週末にこの話題を追いかける余裕がなかった分,何か見落としているかもしれませんが,以下のエントリの特に「5」についての話.

個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害 - 地下生活者の手遊び

僕の先日のエントリおよびそのコメント欄において,今回の話題において『人権侵害』というタームは使うべきではなく,また,法令や裁判の判例を繰り返し用いるべきではない,と僕は述べました.コメント欄や上のエントリでにおけるtikani_nemuru_Mさんの意見では,『人権侵害』という呼称を意図的に使用しているとの事なので,私は反対意見を改めて説明してみようと思います.ただ,当然ながら僕は『人権侵害』という呼称に反対する人の代表者ではなく,他の方はまた別の理由で『人権侵害』という呼称に反対しているのだろうと思います.

先立って,tikani_nemuru_Mさんが指摘する問題の存在について同意し,そこに光を当てようとする試みを支持します.「それ」は深刻な被害であり,問題として共有される事が必要だと思います.その上で,僕がtikani_nemuru_Mさんの指摘するものについて『人権侵害』という呼称を拒否する大きな理由を二つ述べます.もっとも大きな理由は,この一連の主張が「世間様」を相手にアクションを起こす試みである(と僕が解釈している)事に由来します.それに付随するもうひとつの理由は,この指摘がさすものの範囲について,具体的な論になかなか繋がっていかないという事です.

呼称と「世間様」と「専門家」

上に示したエントリ内「5」にて,nornsaffectioさんの意見が引用されています.(コメント欄ではすでに話が進展していますが)

他者危害概念を拡張的に使いすぎと言ってるだけなのだから、そういうことなら「わざと拡張しようとしてるんだ、放っといてくれ」と言うだけでよい。勿論、世の法律家や法哲学者はそういう珍奇な用法には基礎概念の無理解のレッテルを貼っておしまいでしょうけれども、それはしょうがない。
個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害 - 地下生活者の手遊び

僕の前エントリで,コメント内で参照したseijigakutoさんの見解などは,同様に法学の立場から見た際に,専門家に受け入れられないであろうという問題点を指摘したものだと思います.

僕は(そして僕の考えではNaokiTakahashiさんも),これとは反対の(反対というのはちょっとおかしいかもしれませんが)立場から見た際の問題点を指摘しています.すなわち,「世間様」がどんなレッテルを貼るかについてです.「専門家」の輪に入って,弾かれてそこでおしまい,という結末になるのなら,僕にとってはむしろ反発するほどの事ではありません.しかし,tikani_nemuru_Mさんの指摘が妥当だと認められたとき,次のアクションは「世間様」に対するアピールです.そうでなければ,問題の解決に繋がりません.

ここで,性懲りもなく再びたとえ話を持ち出します.この呼称問題について,僕の関心の出発点がここにあるためです.「専門家」の間で一蹴されるものが,「世間様」の間では広く受け入れられるという事について,僕の普段の関心に引っかかる例があります.例えば「マイナスイオン」であり,例えば「水からの伝言」です.

「世間様」向けのレッテル

前エントリでcomplex_catさんやT-3donさんを引き合いに出した際にも少し触れましたが,僕はこの話題に対して,ニセ科学への関心と関連付けた見方をしています.ニセ科学に興味のある方はご存知だろうと思いますが,電化製品などでアピールされている「マイナスイオン」は,自然科学の専門家の輪に入れば一蹴されておしまい,という概念です.「イオン」そして「陽イオン・陰イオン」という概念は自然科学の中にありますが,「マイナスイオン」は今のところ科学の範疇として扱われません.

電化製品メーカーの開発者たちの試行錯誤によって,製品の性能は今も(おそらく)向上しています.その中には,職人芸のようなわずかな変化であったり,いくつもの要因が複雑に関連するなどして,今のところ機序は明確に説明できないものの,その要因となるであろう「何か」が存在することもあるでしょう.しかし,あるかもしれないからといって,それを「マイナスイオン」と名付けた所で何かが解決するわけではなく,自然科学の輪に加わるわけでもありません.むしろ,自然科学の立場からは,わからないうちは「わからないが存在する何か」のままで扱うことが求められるでしょう.

それにもかかわらず,「マイナスイオン」という呼称は,「世間様」に科学的アプローチに基づく技術であるかのような印象をもたらしました.「マイナスイオン」という科学的タームはないにもかかわらず(もっとも「陰イオン」について学校で習った事が逆効果だった可能性はあります).ここにおいて,技術者自身が「マイナスイオン」をどのような概念とみなしているかはあまり関係ありません.

水からの伝言」も,自然科学の専門家からは一蹴されるような主張です.自然科学にとどまらず,言語学の観点からも,道徳の観点からも批判されうる主張です.それが,(当の道徳的観点からさえ批判されうるというのに)「道徳の授業」で「実験的な事実として」使われるほどに広がりを見せ,科学の専門家(の少なくとも一部)に衝撃を与えました.

「世間様」へ向けたアクションとして『人権侵害』という呼称に反対します

『人権侵害』の話題に戻ります.僕が危惧しているのは,tikani_nemuru_Mさんの指摘する「それ」に対して『人権侵害』という呼称を用いる事によって,「世間様」が法律の,すなわち法規制の話であるとの印象を強く与えるかもしれないということです.NaokiTakahashiさんが指摘していたように,tikani_nemuru_Mさん自身が法規制についてどう考えていようと「世間様」がその考えを継承する保証はありません.厳密には科学のタームでないマイナスイオンでさえ「世間様」に広がるのだから,法のタームと同一の『人権侵害』という呼称はなおさら危険です.『人権侵害からの救済』などは下手に聞こえが良い分,法規制に結びついた概念が水からの伝言のように『いい話』として流通する可能性もあります.

そして,その規制を行う主体である権力が,現在においてポルノに対し杜撰な規制の運用をしている事を,「沙織事件」「松文館裁判」を事例として示しました.上で述べたような「世間様」への流通が,それをきっかけにして権力が杜撰な規制を行う事が,空想ではなく現実的なリスクとしてポルノ表現者に突きつけられているのだ,という事を示すためにです.

今回のtikani_nemuru_Mさんの一連のエントリ,およびそれに関わる色々な人の意見を丁寧に追いかけることによって,『人権侵害』が法規制に繋げる話ではないことを理解する事はできるでしょう.しかしそれは,それだけの説明をしなければ「世間様」は容易に誤解しうる,という事の傍証ではないでしょうか.以上のように,「世間様」へのアクションを後に控える議論として位置づけるとき,『人権侵害』という呼称には大きなリスクがあり,賛同できません.それは,少なくとも僕にとっては,tikani_nemuru_Mさんの指摘する問題に賛同し,この問題について考える事に参加するという意思を持っていてもなお,看過できない重大な問題です.

付随する問題・「名前先行の議論」について

僕が『人権侵害』という呼称に反対する二つ目の理由は,その実体よりも呼称が先行している事です.tikani_nemuru_Mさんは,世間でそれほど問題視されていない,あるいは自覚のない「そこにある危害」に光を当てる事を意図しています.しかし,それの実体については,「一部分」であるポルノ表現と性差別の問題に限ってさえ,僕の前エントリに対するブクマコメントでtikani_nemuru_Mさん自身が述べているように「えっっらく厄介な話題なので思案中」というのが現状です.

「とりあえず名前を付ける」というアプローチが,問題を認識し解決を導くために有効となることはよくあると思います.ある事柄を認識させる,またそれを伝えたり共有したりするという目的に対して,「名前」は強力なツールになります.一方で,名前を付けるというのはそれを認識する相手に(実体とは無関係かもしれない)予見を与える事もあります.だからこそ『人権侵害』と呼ぶことにインパクトがある,というのならば確かにそれはそうですが,上で述べたような大きなリスクもあわせて背負う事になってしまいます.また,ネーミングは概念の認識を強力にサポートしますが,その逆の「名前のないものは認識されない」というのは正しくない.「えっらく厄介な」実体について考えようとするのに,下手に名前をつけてしまうと体系的な把握を阻害する危険もあります.まして『人権侵害』という法学に存在するタームを借りてくるのは良くない.腰を据えて考えるのなら,「とりあえず呼称を付けて,後から実体を考える」というのではなく,面倒でも「具体例をいちいち挙げていく」様な作業から始めることも検討する必要があると思います.せめて,『人権侵害』という,法に容易に結びつく呼称は避けるべきです.
(というか,tikani_nemuru_Mさんが継続して何度も述べられてきた文章,そしてそれに対するさまざまな反応が『人権侵害』という単なる一語よりもはるかにはっきりとこの問題を照らしています.分量が多いのだから当然ともいえますが,「具体例をいちいち挙げていく」事の力を示してもいると思います)

実体について記述する方法が曖昧だという事は,悪意を持った「世間様」にかかってしまうと「アドホックな主張」をいくらでも作れてしまいます.ましてやそれに『人権侵害』という名前が付いていたら大変危険です.

余談として・なぜ法学から借りようとするのか

ならば教えていただきたい。

「個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害」「故あって被害者が過敏になっていて、特別の取り扱いを要する」ような深刻な被害、しかも社会意識が大きな役割をはたす被害を法学においてどのように位置づけて、どう名づけているのですか? 私がこれを何と呼べば法学的にご満足なのでしょうか?

また、ヘイトスピーチ規制・ヘイトクライム規制以外に、こうした被害に対するどのような規制の理論と技術を法学は持っているのですか?
個別の犯罪が関連を持って継続する系統的な被害 - 地下生活者の手遊び

tikani_nemuru_Mさんは自身のエントリで繰り返し,「法規制が弊害をもたらし,権力の介入を否定すべき危害」について語っていると主張しています.ならば,「それ」を示すタームが法学にあるとなぜ考えているのでしょうか.「法学にはそれをあらわすタームがない」と主張する方が自然に思えるのですが,法学に「それ」をあらわすタームを求めるのはなぜなのでしょうか.

僕は上記の通り,この問題意識は「世間様」へのアクションに繋げるべきものとして捉えています.「世間」には,当然ながら法でも道徳でもない概念はたくさん存在します.
tikani_nemuru_Mさんは僕の前エントリで,NaokiTakahashiさんへの対抗として

氏が「法/道徳」の二分法を絶対化している限り、人権侵害という言葉をつかわざるをえない
いくつかの失望と怒り - 落ち着きのない三十路(数えで)

と主張していますが,僕の考えではこれは全く順序が逆です.このエントリでも前のエントリでも書いたとおり,ポルノ表現者にとって「人権侵害」,すなわち「法学において権力の介入を要求するもの」はその身に直接迫っている深刻な脅威です.「人権侵害という言葉が持ち出される限り,法の話として突っ張らざるを得ない」のです.
エロゲーを取り巻くものとして,例えば「ソフ倫」があります.これはエロゲーが商業として成立するためのさまざまな働きかけを(その効果は別の議論として)行っています.商業として,とはすなわち市場経済的な観念でしょう.また,性差別とポルノ表現の関係性を問う中で,tikani_nemuru_Mさんも僕もエントリで参照したSocius_ソキウス社会学の議論です.NaokiTakahashiさん自身についても,

処世の範囲外で「規制派」と関わりたくない。自主規制はそのため
はてなブックマーク - 自主規制は表現の自由を守る手段じゃないの? - 落ち着きのない三十路(数えで)

現代視聴覚文化の話 - NaokiTakahashiの日記
別の話になるけど。 - NaokiTakahashiの日記
のように,「法と道徳」以外の観点から(というよりもむしろ,芸術的,文芸的観点をメインとして)ポルノ表現とその差別性,そして社会とのかかわりについて述べています.それを「法の観点」に縛り付けているものこそが,「人権侵害」という言葉です.それはtikani_nemuru_Mさん自身にも及んでいるのではないでしょうか.『人権侵害』という言葉に引っ張られて,「法の言葉」でこの問題が語られることに執着しているのではないかと思います.