「見下ろさないから,見上げるな」のヘンなところ

上にいる人は見下ろさない - タケルンバ卿日記やブックマークなどを読んで考えた事を取りとめなく.

自分で否定したものを根拠にして結論を導く

エントリの結論であると思う「他人と比較して妬むのは良くない」という点には賛成.しかし,その結論に至る道筋がヘン.エントリの途中までの話では,対立概念は幻想だ,とまでは行かなくても下からの一方的な視点だと説いて,「対立概念に囚われてはいけないよ」と言っている.それにもかかわらず,結論へ至る部分ではタイトルにまでなっているように「上の者は下を見ない」だから「下の者も上を見るな」という論調になっている.対比する事がダメだ,というのに,上の者と下の者を対比した視点から結論を導く筋はヘンだと思う.

本人も含めてレトリックに引っかかっている

このエントリの肝は「妬むな」ということで,「上を見るな」はそれを指す比喩のはずだが,直接「妬むな」という表現を使わなかったのでいろいろ引っかかる部分が増えた.「身の丈にあった欲」というように,欲を持つという自然な行為まで「上を見る」に含めると,上を見るなという意見は暴論になってしまう.本当に目標にしている事に対しては上を見なければ始まらない.ついでに,「欲の質を見直せ(=妬みでない欲を持て)」という話なのに「身の丈にあった」という量的な表現を持ち出すのもなんかヘン.
もうひとつ,タケハルンバさん本人にとっても,エントリが上と下の対比構造に嵌ったのは,比喩を使ってしまったことが一因だと思う.比喩を使わずに直接表現してみると「上の者は下の者を妬まない,だから下のものは上を妬むな」ということになって,ずいぶん違和感があると思ったのではないか.「幸福を感じているときには他人を妬んでいない(から参考にしよう)」というのは,この比喩を使うなら「上の者は,もっと上は見ていない.だから下の者も上を見るな」となるはず.

妬みじゃない対比構造はどうするのか

話題の導入としてあげている構造には「ポジティブ・ネガティブ」「モテ・非モテ」「勝ち組・負け組」「マッチョ・ウインプ」があるが,これは妬みや対立の構造なんだろうか.(それ以前に,この4つが並列になるのかどうか.「勝ち組」って他を包括してそうな気がするし,「ポジ・ネガ」は他に付属しそうな感じ)もちろん,実際に妬みとか,上を引きずりおろしたい,奪いたいという視点で発信されるものを見たことはある.しかし,もっと単純に「目標としている」という普通の視点もよく見かけるような気がする.「ウィンプ」は「マッチョになるにはどうしたらいいですか?」って尋ねる場面の方がよく見かけるし,非モテも同様.そこで成功例が多くないだけで,構造としては「マッチョ VS ウィンプ」「モテ VS 非モテ」というよりは「マッチョ and ウィンプ」「モテ and 非モテ」の方が多いのではないだろうか.成功例を増やすという点は「横に一歩出る」をもっと丁寧に考えてみるとヒントが得られるんじゃないかという気がするけど,考えが上手く言葉にならない.