「勉強ができた子」はいじめられたか?

「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記
を読んで何かを書こうと思ったのだが,記憶をたどっているうちに何を言おうと思い立ったのかを忘れてしまった.確か,受け取り方とか解釈のすれ違いとか,そんなことについて考えていた気がする.

一般論とは程遠い自分自身の話.高校の途中まで学校の授業で苦労した覚えはなく(むしろ楽しかった),成績は良かった.体力は並以下だったが,部活のない小学生の頃は野球などもやった(といっても,ゴムボールとプラスチック製のバットのやつだ.「透明ランナー」とかがいるようなやつだ.)
それ以外ではみんなの輪には入れなかった.グループで何かをする課題などでは,なんだか不公平な役割を割り当てられた気がしたが,面と向かって嫌と言える性格でもなかった.他の生徒と接しているときよりも高圧的に接してくる感じの相手も,何人かはいた.さてそれは,「勉強ができたから」だったのだろうか?本人に聞いて見なければわからない.もしくは,もはや覚えてもいないだろうか.

休み時間には学校の図書室か図書館で借りてきた子供向けの算数の本や,ルパンやホームズを読んで,小学校の行き帰りもそれを読みながら歩いていた(今考えるとすごく危ない).本を読むのは楽しかった.時々,授業が始まったのに気付かないくらい熱中する事もあった.教科書や参考書というのはその一部に過ぎなかった.春や秋に配られる新しい教科書は,HUNTER×HUNTERの連載が再開されるジャンプのようなものだ.待ちに待ったその本は,配られて1ヵ月後くらいには一通り読んでいた.

中学の頃,国語の授業での話.朗読の授業で,始めに全員で模範(?)の朗読テープを聴きながら文章を追う.次に担当が割り当てられて,順番に朗読していく.クラス全員で分担するほど長い文章ではないので,数人で一巡して,また頭から朗読していく.何巡かして,自分の番がまわって来る.途中に,登場人物がどなる場面がある.僕はごく自然に,模範のテープに従い,少し声を変え(たつもりで),声を張ってセリフを言った.10年以上前,たった一度のその言葉は,今でもはっきり覚えている(といいつつ,一応確認してみた.平成18年版の教科書にも載っているようだ
「ばためぐなじゃ、こりゃあ。」
教室に笑いが起きた.
ウケたのか,バカにされたのか.もはや確認する術はない.どちらにしろ,言った当人は面食らっていた.
なぜ?
セリフを言う事で,「笑いが起きる」という事自体が理解できなかった.自分に向けられた正体不明の笑いはショックで,怖くて,恥ずかしくて,嫌だった.
その後,自分の担当ではなかった別の登場人物のセリフで,担任が思いついて,僕が「見本」をやる事になった(という事は,今思えばそれは「ウケた」ということなんだろう)僕は野太い声でセリフを言った.今度は予想通りの,怖くて恥ずかしい笑いが待ち構えていた.