自主規制は表現の自由を守る手段じゃないの?

判断力が鈍っているので,生半可な知識でそのまま書きます(と,言い訳までする)
間違いはご指摘いただけると嬉しく思います.

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

2項1文は、検閲を禁止する規定であるが、検閲の意義が定義されていないため、制限される「検閲」の主体について争いがある。最高裁判所は、行政機関が行うものに限定すると判断をしている。裁判所の命令も検閲の主体には含まれないものとされている(北方ジャーナル事件参照)。

憲法表現の自由に関わる部分について引用.他のエントリがこれ以外の条文を念頭においているかどうかがわからないので,その他の条文についてはひとまず参考にしない.

レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何かの社会的問題があるとされるとき、それに人々はどの様に対応すべきか

1. 法的規制(販売禁止など)
2. 法的ゾーニング
1. どの程度厳しくするか?
2. 本当にゾーニングは可能か?
3. 自主規制(販売自粛、ゾーニング、シナリオへの配慮など含む)
4. その他(性差別イメージの撤廃をより訴えていくetc...)

3ですよ3.もしくは3&4.

表現の自由は,『表現に対して行政が介入する事を許さないこと』と考えるなら,上の1と2は「表現の自由の侵害」であり,一方3と4は「表現の自由を守る(=行政に介入の口実を与えない)ための不断の努力」である.表現の自由に関して考えようという場合,「規制」という括りの元でこれを同列に並べてしまうのは,適当ではないと考えます.

今回の議論の発端となっている,amazonに対する販売中止の要請は3にあたるのだから,表現の自由を守る努力の一環として解釈する事も出来ます(・・・が,さらに日本政府に対して販売禁止を実施するように要請するということなので,これは1にあたり,表現の自由を侵害する要請です)

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5月21日追記:『今回の要請そのもの』については,上のように解釈する事は無理があると思いました.あくまで,「表現の自由を守るという立場からも同じ要請が可能である」という事.

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すなわち,「まともなゾーニングをする気が無い(行政に介入の口実を与えない努力を怠る)のならば,表現の自由を脅かす行為であるからやめてくれ」ということです.
(参考-http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090519/p4)

今回の議論では,「3や4さえ放棄する,権利の濫用であるような主張」に対する反論(http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090520/1242764989 で挙げられているようなもの)と,「3や4では十分とせず,1や2まで求めるような主張」に対する反論(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/ 位しか見ていませんが)があるように思います.これらは,大体同じ位置にいて,背中合わせになって両端の過激な主張を批判しているはずなのですが,1〜4をまとめて「規制」と呼んでしまうことによって,あたかもお互いが喧嘩しあっているように見えてしまうのが残念です.